管理の問題ですね、わかります

http://d.hatena.ne.jp/oredoco/20080606/1212734547とか、だから - finalventの日記の話題って、blogを管理する立場にある側が、管理不行き届きでとんでもない発言を野放しにしてしまった場合の話題だよね。

このへんの話題の本流というか、原泉ってソーシャルブックマーク不要論というか、ネガティブブックマーク規制論だったような気がするけど、話題が何度か転がっているんだろう。よくわからない。

まずルールを確認しておこうか

まず、blogでの発言と言うのは、望む望まないにかかわらず世界に向けた発信であるという事実があり、公表された言論に対しては批判の対象となる、という単純なルールがある。

つまり、「俺は議論がしたいんじゃない、一方的にお前に文句を言いたいだけだ。俺の文句は聞け。そして俺に文句をつけるな!」という、あまりに幼稚な主張は論外なんだよね。
互いに批判*1をする/されるの自由がネットという公開の場で、それがいやだったらソーシャルネットワークとかのクローズドなコミュニティに潜り込みなさい、という話になる。

さて、この双方向の批判の自由だけども、これは拒絶できない。たとえば、あなたのblogのコメントをシャットアウトしても、コメント欄に書かれないだけのことで批評されうる。新聞のような紙というアナログなメディアで演説しようとも、もちろんそこにコメント欄なんてないしトラックバックもできないけどもやっぱり批判されるでしょう?
つまり、批評が誰の管理下で行われるかが変わるだけで、批評すべてを自分の管理下におさめることはできない。それがネットの世界*2

メディアコントロールが出来ない世界で発言するということは、自分の管理下にない批評を避けることが出来ない。ま、blogを書くにあたって、そのルールを理解せずにトンデモ発言して批評されて凹む人も多数いるみたいだし、このルールってのがそもそも契約書の誰が読むんだよ!っていう細かい字で書かれた規約のような「知らなかった」と言われるルールのように思う。

この、blogってのは世界に向けて発信されるし、自由な議論の俎上に上がって批判されることがあるよってルールは、blogの取扱説明書に嫌ってほど目立つように記載しておかないと、神様気取りのお客さんから文句言われて困るかもしれないね

嫌がらせというグレーゾーン

「死ね」コメントなどは当然まっとうなものではないが、日本は妄言を表明することすら許されない警察国家と言うわけでもないので、線引きは曖昧ではあるものの、常軌を逸しなければ不問とされる。
もちろん、もしあなたが犯行予告のような発言をすれば、それは現に社会が迷惑を被る可能性があるわけだから、対策を取られる、つまり警察があなたを逮捕しに行くかもしれない。

では、緊急に対策を講じなければならないと思われる犯行予告などではない、軽微な嫌がらせのようなものはどうなるのだろうか?

そしてそれが自分の管理下であるところのblogコメントではなく、ソーシャルブックマークのような場所であったらば。

そういう話題だったんじゃなかったっけ?*3

グレーは全部黒!

2008-06-04とかhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a7b197c6b00ce84d23a5055add588cbcとかに欠けているのは、十把一絡げにそういう対策をした場合にどういう副作用が起こるのか?という視点だ。

目先の問題を解決するために短絡的に「それを規制してくれ」というのは容易い。でも、そこに規制をするということは前例を作るという重大な一歩だ。誤った前例が作られるとろくなことにならない。

だから、実施に先駆けて「それをやったならば、何が起こるのか?」を吟味するわけだ。こうした整合性をエンジニアというのは気にしながらシステムを組む。あなたが注文をつけた機能をそのまま載せるようなエンジニアは首にした方がいい。さもなくば、システムが稼働して副作用が明らかになってからあなたの首が飛ぶ。

だから、『はてな』はサービス業失格のブクマコメントを読むと二分されていることがよく分かるでしょう?

その対策までを見ている人と、その対策をした後を見ている人で評価が全然違う。みんなどうにかしないといけないことは分かっている。でも、だからってろくでもない法案は賛成できないよねって話がある*4

はてなのとった対応は至極常識的なものだ。悪法も法なりと言うし、泣いて馬謖を斬るとも言う。容易な言葉狩りに屈しなかったことには賞賛を送りたい。ひとたび言葉狩りを許せば、あれもこれもとキーワードが増えるネットスラングとか、そういうキーワードの隠語とかが多いよね。隠語だらけで語られる、そしていつ検閲削除されるかわからない世界を望むというのかい?

その点、http://d.hatena.ne.jp/ki2neko/20080605/p1とかは現実的な、整合性のとれた議論の俎上に載せられる「論外ではない」案だと思う。

グレーは全部黒!と言ってしまうと、自分の手にも手錠が掛かるよ。世の中はそんなに白くない。キリストだって言ったじゃないか。「罪のないものが石を投げなさい」って!
キリストでさえ白ではない。僕らは皆グレーだってこと。色の濃さに違いはあれど、少なからず色がついてしまっている*5。だから軽々しくグレーは全部黒扱いでいいよ!って言う人は、グレーと白の区別がつかないぐらいに目の悪い人だけだ。

で、コメントを閉めるとどうなるの?

つまるところ、自分の管理しないといけないことが減る。
そして自分の手の届かないところでの批判はなんら減らない。

ネットが広げたのはメディアコントロールが出来ない世界なんだ。それでも、管理者責任というのはついてまわる。

コメントをカットしてしまえば、自分の庭で馬鹿が火遊びして延焼しましたっていう心配だけはしなくて済むようになる。そしてそれは、多分、本来得たかった心理的な安堵とは違うものだ。

本当に求めるものは何なんだい?

イエスマンに神輿で担ぎあげられる安堵感が欲しければソーシャルネットワークに引きこもろう。
あなたの開くジャイアンリサイタルに参加してくれる人だけの世界に引きこもろう。

ここは危険だ。だってこの世界は自由なんだから

*1:批判:物事の可否に検討を加え、評価・判定すること、批評:事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。(goo辞書より)であって、悪いことではない。問題なのはいわれのない悪口である「中傷」とかだ

*2:ネットでなくとも批評なんて自分の管理下には置けないんだけどさ

*3:そしてこうした個別のグレーに白黒をつけるために裁判がある。裁判はしたくないけどどうにかしたいってのは気持ちはよくわかる。裁判って敷居が高いもの。裁判所にもネットでの事件を扱う、オンライン専門の部署とかあるといいのにね。オンラインだけで裁判が進行するなら時間的な理由を含め、裁判を利用しようという人が増えるだろうに。もっとも本人確認どうすんの?とか根本的な話題はあるかもしれないけど。

*4:児童ポルノとかの話題とか、Webのフィルタリングの話とかまさにそう。対策が必要なのは同意出来ても、対策案が酷過ぎて賛成できない

*5:そしてついた染みをひとつひとつ贖罪し続けるんだ。せめて白に近くありたいとね