前提を捉える

何かを理解するには、必要な前提知識、もしくは前提経験というものがある。
技術を学ぶ際もそうだし、ジョークを聞く際でもそうだ。


基礎の勉強や経験がおろそかだと興味深いエキサイティングな技術の話を楽しむことができない。
それがどのように凄いのか理解できないし、その先に広がる世界を想像することもできない。


基礎の勉強や経験がおろそかだと面白いジョークで皆が爆笑する中、
ひとりで「え?何?何?」ときょとんとしていなければならない。
ジョークの面白さの解説を求めることは愚の骨頂だ。
あるいは親切心からこういうジョークなんだよと教えてくれる人もいるかもしれない。
しかし、ジョークというのは聞いた瞬間に噴き出すことができてはじめて面白いのである。
あとから理由を聞くなんてのは野暮ってものだ。


技術の話を人にするとき、その人の前提知識に探りを入れながら話す。
その人が興味を持っているようだったら、多少の知識が欠けていても
補いながら話せばとても楽しそうに聞いてくれる。
自分のしゃべりたいことをしゃべるだけではうんざりされる。
興味のないことを延々と解説されるのは拷問でしかない。


ジョークを言うとき、相手がわかりそうなジョークを探して言う。
いつもこれさえ言えば笑いがとれるというフレーズなどありはしない。
相手と自分が共有する知識や経験から機転を利かせてジョークを言わなくてはいけない。
自己満足の冗談は周囲を白けさせるだけだ。


いずれにせよ、コミュニケーションというのは相手を見て反応を見ながら行わなくてはならないといことだ。
セッションなどで相手が多数の場合、前提となる知識が揃っていないことが多く、
技術的な話題というのは分かる人、わからない人が出てくるのは仕方のないことだ。
ある程度、集まる人のレベルが揃っていると話す方も非常に話しやすい。


ジョークを言うにしても、属性が揃っているなら非常にネタを話しやすい。
ヲタクのオフ会をはたから見ていると意味不明で気持ち悪く思うかもしれない。
しかし、同じ趣味を持って集まっている集団の中ではそこだけでしか爆笑できないジョークがある。
不特定多数を相手にしているお笑い芸人の漫才よりも、とても面白いものである。


芸人のツライところは相手が不特定多数であるからこそ、通じるネタを探すのがツライことだ。
だから、誰が見ても「ありえない」と思える馬鹿話や、下ネタなどが多い。
これは共通してわかってもらえるネタの最たるものだからだ。


本当は、特定のレベルの層に向かって発信させる漫才とかもあっていいと思うのだが、
そこは商業的に成り立ちにくいのかもしれない。
あるいは、面白いblogというのはそういうものの代替えなのかもしれない。