論理的不整合が笑いの原動力なのだろうか

某所でまるで話が通じない会話のあげく
「大きな人間になるんだぞ。いつもおまえを応援しているぞ」とか言われた。
なんだろう、この愉快でたまらない気持はw


「笑う」とは何だろうか。
落語でも漫才でもいいのだけども、あの可笑しさというのは論理的矛盾というか、
不整合というかとにかく「そんな筈はないだろう」という感情と関連している。
そういう意味で、ある人にだけ可笑しく思えるジョークというものがある。
笑えるかどうかは、その矛盾・不整合が理解可能かどうかというラインの
どちらにいるかで決まってくる。
それは別に分かるから偉いとかいうものではないが、とにかく笑うには資格がいるという話。


技術者のジョークに、技術的な知識に根ざしたジョークというものがある。
チャットルームで暴れていたお馬鹿な自称ハッカーが、
「今からお前のマシンを攻撃してやる!IPを教えろ!」
と言って(この時点でありえない状況に笑いがこみあげてくるのだが)
127.0.0.1」と答えたという話とか、秀逸だと思う。
しかし、このネタを笑えるためには127.0.0.1というものが何なのかを
知っている必要があり、それを知らないと笑うことができない。


論理的な不整合を理解できる程度の素養を求めるジョークというものは確かにある。
そして、それが狙って行われたかどうかはさておき、ある前提知識を持つ者には
ひどく可笑しく感じることというのは確かにある。
これは、馬鹿にしているとかそういう人を見下した感情ではなく、
その論理的矛盾というか、そうしたものから生まれ来るものなのだ。
そして、その矛盾を理解する前提のパーツが手元にあるかどうか、それだけのことだ。


「大きな人間になるんだぞ」とか、「いつもおまえを応援しているぞ」とか
親心的な発言というのは、見下しというか立場による上下が暗黙にあった上での
やり取りだからこそ、掲示板で無茶苦茶な、辻褄の合わない論理を振りかざしている
人間の発言としてなされたことに思わず噴き出してしまったのだった。
直前の行動とまったく違う発言じゃないか、と。
それは正に漫才で直後に突っ込みが入るような行動であるのだ。


皮肉を真に受けての発言といい、ルサンチマンだろという指摘をそのまま体現したような
発言をその場ですることといい、ボケとしては秀逸だ。(漫才的には定番ネタではあるが)


いや、なんだろう。
論理的分析では説明しきれない、なんとも愉快な状況なのだ。
いかん。ニヤニヤが止まらないw