服を変えただけじゃ脱ヲタできないよ - プログラマーの脳みその補足を書いておこうと思う。
脱ヲタ(あるいは脱オタ)じゃなくて脱キモだろう、イケヲタになろうぜ、というのが趣旨だった。
んじゃ、イケヲタってどんなのよ?というとイメージしにくいかもしれない。
そこんところをちょっと掘り下げてみる。
Bバージンに見る脱ヲタ思想
マンガとしてはもう古い部類になってしまうが、Bバージンってのがある。
あらすじを掻い摘んで書くと、生物ヲタクの主人公・住田 秋が惚れた女をモノにするために二人の姉と妹の助言を得て脱キモ・脱ヲタして大学デビューでリア充になることを試みるも、水族館でバイトしたりして復ヲタしてイケヲタになって彼女をモノにする話。
秋君は自分の趣味である生物(高校時代はカメヲタクだった)に回帰する。エピローグで詳しく書かれている訳ではないけども、生物学者として大成する道を選んだ。これは、リア充を夢見た秋君が生き方を問われた時に、ヲタクを貫いてやりたいことをやって生きることの格好良さを最後は選んだと言う物語なのだ。
そんなBバージンはヤングサンデーで1991年から1997年までの連載。いやー。もう連載終了から10年経ってるよ。でも、未だに作者の山田玲司氏が叫んだイケヲタの生き方ってのは日の目を見ていない気がする。
実在の人物だと所ジョージとか
イケヲタの例をずっと考えていたんだけど、所ジョージ氏なんかは正にそうではないだろうか。所さんの世田谷ベースとか見るとわかるけど、所さんてめちゃくちゃヲタクだよ。ヲタクながらに格好いいって生き方そのもだと言える。憧れるぐらいにイケヲタだね。
そもそも、芸能人とかってTV露出が高くて国民の代表のような面してるけど、実際のところはマイノリティーもいいところで、よほどの変わり者でもなければ芸能人になんざなるわけがない。
芸術系の人とかもそうだけど、そっちの道に進む人ってのは何かしらにずっぽり嵌った、要するにヲタクである比率が凄く高い。でも、TVなんかはヲタクを卑下する番組構成でヲタクの反感を買ったりすることもしばしばだけど、要するにヲタクはヲタクでもキモヲタと一緒にするな!っていうTV業界のプライドなんだ。
結局、ヲタクながらに中途半端に地位を得た連中のコンプレックスの裏返しがキモヲタ叩きに走らせるんだろう。イケヲタはそんなことしない。本当に確たるものを得ている人は相手を攻撃して相対的な有利を確保しなくても自分のプライドが揺らぐことはない。
そんなわけで、イケヲタという存在を認めてしまうと卑下するものがなくなって困る連中が地位を得た人を「ヲタクではない何か」にしている。いや、おんなじヲタクだって。
他に石坂浩二氏なんかもイケヲタ。wikipediaを見ると「日本プラモデル工業協同組合」の特別顧問だとか書いてある。なんでも鑑定団で海洋堂のガレージキットにえらく興味を持っていたのが印象に残っている。
他にもいろいろ探せばいると思うんだけど、TVを見なくなって久しい自分には芸能界は分からないのでこの辺にしておく。
何かに没頭するという人生観
イケヲタ思想というのは、要するに何かに没頭することを肯定することだ。ヲタクというのは少なからず平均を逸脱して何かにのめり込んだ人間を言う。しかし、考えてごらん。平均的な人はヒーローたりえないのだよ!
ヲタクがその能力をうまく活かした時。それは蔑まれる対象から羨望される対象となる。それは脱ヲタしてヲタクでなくなってしまっては成し得ないことだ。Bバージンの秋君が復ヲタしたのはそこに自分の輝ける場所を見出したからだ。いや、自分のやりたいことを封じて生きることに輝きを見いだせなかったからかもしれない。
のめり込むことを恐れてはいけない。ただ、他を聞き入れないまでに偏屈になるとそれは単なるキモヲタにすぎなくなる。脱キモして対人スキルを得たらリア充なんか目じゃないイケヲタになれるかもしれない。脱ヲタ?ヲタクを捨てるなんて、とんでもない!