嫌儲と疎外と自己満足

「嫌儲」と「疎外されたネタ生産」 - 何かの間違い
嫌儲以外にも2chまとめサイトに憤る理由があるんじゃないの、という話。このエントリでは商業化にあたっての疎外ではないかと提唱しているわけだ。

これはとても興味深いんだけど、編集の仕事というのは、読者を想定して、その読者にとって読みやすいようにと取捨選択をするというものだから、編集が気に入らない、作った俺たちのやりたいようにやらせろ!ってやっちゃうと、読み手不在の、それこそ自己満足そのものになってはしまわないだろうか。

もちろん、2ちゃんねらーの手前勝手な意見をすべて呑んでいたら「商業出版」の体をなさないだろう。どんなに盛り上がっているスレッドであっても、参加しているのはせいぜい数千人であろう。それは数十万、数百万部単位で行われる出版とはまったく性質を異にするものだ。

と該当エントリでも述べられている。

ましてや、2chのような場所というのは、奇妙な連帯感のある場所である。そこはカテゴリ分けなどによって人がある程度フィルタリングされていて、同じネタが通じる仲間という特殊な場所なのである。
その特殊な場所でのみ通じる内輪受けというのは、内側にいる分にはこれほど楽しいことはないが、万人に受けるネタかというとそんなことはなく、かなり人を選ぶと思う。

それが商品とならない限りにおいて、作り手がその自己満足のために好きにするのはなんら構わないだろうが、もしも書籍などの商品化を考えるのであれば、そこは、同じネタの通じる仲間うちではない万人に向けての編集を要する。

それを憤るのは、聖域を荒らされるような感情からではないだろうか。