ポジショントークのポジション

自分はふだんは業務システムを設計したり構築したりする仕事をしているわけだが、その仕事柄、対コンシューマ向けのシステムというのもどう設計するべきか、どう運用するべきかということを常々考えている。

このblogのタイトルである「プログラマーの脳みそ」というのは正にそうした思想を巡らせる脳みそのことであり、そうしたシステムを構築する人間視点での与太話を書き散らしているというわけだ。

システムというのはプログラムの世界だけで完結しない。企業システムであれば企業内での政治的な事情によって変な機能を盛り込むこともあるし、せっかく作った機能を封印することもある。プログラム的に可能というのとサービスとして提供可能というのは違う。とくに対コンシューマのシステムなんかは法律や社会通念などの社会システムに組み込まれて動作するのだから、アーキテクトは世辞も想定してシステムを考えなくちゃいけない。

なぜいまさらこんなことを断っているかと言うと、先日のパロディ封じに対するニコ動のしたたかな戦略 - プログラマーの脳みそが世間的な関心事が高かったのか妙に大量にブクマされるに至って、そのブクマコメントなどを眺めていると「こいつはニコ厨ニコニコ動画を庇護しようとお花畑な妄想をしているだけだ」という捉え方をしている人が見受けられたから。

私はあの記事を半分はシステム論として書いていたのだけども、ニコ厨の脳内がお花畑すぎる件についてあたりの反応を見ると、そう言う風に読めない記事になってるんだろうなと思った次第。半分がシステム論として残りの半分はhttp://d.hatena.ne.jp/Lettusonly/20080704/p8が正解。ミスリードさせてしまうあたり、自分の文章力も甘いと反省することしきりである。

そもそも自分はニコニコ動画でのMAD庇護というポジションに立っているわけではないので、それを前提とした批判は前提が違うんで受け止めようがない。強硬な企業に対して不買運動をしろなどとも言っていない。

自分は本業側ではオープンソースを使いまくってる人間なわけで、感化されプログラムの二次創作をするという世界的なオープンソースの動きが滅びると困る立場であるし、享受したメリットの大きさも常々感じているから、プログラムではない著作物も過度にクローズドにするよりオープンにした方がいいんじゃないの、とは思う。

しかしながら、Microsoftのようなクローズ系な企業がビジネス上は大成功している現実も見ているわけで、そういうビジネスモデルも否定しない。そういうやり方もあるよね、と。ただ少なくとも自分はMicrosoftやディズニーのような戦略を取りたくないとも思っている。