著作物って何?

芳文社の著作権の主張を考察する - プログラマーの脳みそのブクマコメントで

権利主張の文章は創作性が無いので著作物ではありません(権利の内容をありふれた文章で列挙しただけなので)

とコメントを貰ったのでちょっと考え込んでいた。

著作物の定義

著作物とは、日本の著作権法の定義によれば、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(2条1項1号)である。要件を分解すれば、次の通りである。

1. 「思想又は感情」
2. 「創作的」
3. 「表現したもの」
4. 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

著作物 - Wikipedia

この「著作物」の定義からすれば、権利主張の文章というのは4.の「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を満たさないがゆえに著作物ではない、となるのかもしれない。

判例は簡単に探してみたが、ちょうどよいものが見つからなかった。というか、キーワード的に検索しにくい…。

契約条項などの条文は「創作性が無い」のか?

契約条項に創造性がないなどと言うと、条文作成に苦慮している法務部の人とかの怒りを買うことだろう。

現行法などの枠組みを考慮し、問題がおこらないように、また、想定される事項に対してどのように条文を適用して対抗するか、ということを考慮し、契約条項は作られる。

これは、法に基づいたプログラミングに近い。

契約には多分に契約者の思想が盛り込まれる。その工夫が「権利の内容をありふれた文章で列挙しただけ」と言えるかどうか。いや、確かに「権利の内容」について、どういった表現を用いるかという点では、独創性があるとは言えないかもしれない。問題は「権利の内容」の方である。こちらが工夫なのだ。

ともすれば、電子音によって作られた音楽は、「旋律をありふれた音源で再生しただけ」なので「独創性がない」ということになりかねない。おかしいのは「音源がありふれている」ことをもって独創性がないと言っていることである。話題にしているのは旋律のほうだ。

線引きの曖昧さ

著作権法10条ではこういったものが著作物の例だよ、という例示がある。「例示されたものに限る」ではなく「たとえばこういったものがそうだ」というものだから、ここに上がっていないものは裁判で争ってみて判例でも作らないことには「著作物かどうかわからない」というケースが多いだろう。

ここで我々プログラマに関心の深い「プログラムの著作物(10条1項9号)」を取り上げる。

さて、先ほど著作物の定義を引用したが再掲しよう。

1. 「思想又は感情」
2. 「創作的」
3. 「表現したもの」
4. 「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

10条1項9号でもってプログラムは著作物とされているわけだが、この1〜4を満たすのかというと怪しい。プログラムは「思想又は感情」なのか、というと感情ではないだろうから「思想」ということになるのだろう。

何より4の「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」にプログラムが入ることが疑問である。エンジニアリングにおけるプログラムが学術かと言われるとそうは言えまい。ましては文芸でもない。

創造性がある場合、それが「著作物ではない」とは容易に言えないことの一例である。プログラムが著作物である以上、素人が安易に線引きして「著作物ではないから大丈夫」とは言えない。

この線の引き方は難しい。

条文は著作物か?

条項の組み立ては独創性がある。

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」とは言えないかもしれないが、プログラムのようなものが著作物と認められている実例があることから、この要件が厳密なものとは思えない。

ともすれば、ちょっと裁判で争ってみないと分からないのではないだろうか。

かといって1、2条程度の簡素な条文だと「創造性」が認められないとされるかもしれない。新聞の見出しについては著作物と認められなかった判例もある。しかし、俳句などは著作物とされるので長さが要件となっているわけでもない。

どういうスタンスで接するべきか

何かしらの独創性がありそうなもの、というか要するに人が作ったものに対しては「著作物」と思った方がよいと思う。

少なくとも、それは著作物にならないからお前のものは俺のもの、ってやるのは「関わりあいになりたくない人格」と判断されるには十分だ。

私が、著作物と認めた上で「引用」は可能だよね、という議論をしているのは、著作物を作ることには敬意を払っているというサインでもある。しかし、「俺の作ったものを批評するな」はないだろう、というのが自分のポジション。

二次創作については、「インスパイア」については否定しない。というか否定してしまうと創造活動が立ち行かなくなる。

二次創作でやいのやいの言っているのは、インスパイアと盗作の線引きがどこか、という話題が主体のように見える。