プログラマ見習・プログラマ・アーキテクト
プログラマ見習・プログラマ・アーキテクトというのは連続している。技能のレベルでおおよそ分けられるが、かといって明確な線引きがあるわけでもない。
ある意味でコーダというのは、先に進むことを放棄した/させられた存在であると思う。開発におけるコーダの需要はそれなりにあるわけだが、特にコーダに特化した供給を考える必要はないと思う。むしろ、コーダでとどまることをよしとする人間を積極的に供給してはいけない気もする。
コーダとプログラマ見習の最大の差は、そこが終着点であるか通過点であるかではないだろうか。与えられた仕事がこなせる程度の技能で停止したならば、プログラマと誇りを持って言えるだろうか。時代の流れとともに高度化していくプログラミングパラダイムを、開発手法を、追いかけることをやめたならプログラマとは名乗れないのではないだろうか。
IT業界で不足している人材とは - プログラマーの脳みそのブクマコメントで以下のようなものがあった。
数億円の規模のシステムのアーキテクトがプログラマ(SIer的な意味でなく)の像と一致しないんだが、その規模を一人で作り上げられる天才が必要ということ?イマイチ理解できていない。
はてなブックマーク - IT業界で不足している人材とは - プログラマーの脳みそ
アーキテクトというのもプログラマと連続している。プログラマがある程度の規模のシステムを設計できる程度に熟練した場合、アーキテクトと呼ばれるだけのことだ。数億円規模のシステムを設計するなんてのも、3人で3カ月程度で作るシステムの設計(1000万弱程度規模の案件)ができるところから連続している。
あるアイデアマンが「こういうことがしたいんだ」と閃いた時、それを実現できる人材がいる、という話が大本のプログラミング能力をつけるための高速道路を造りたいという話 - タムケンブログの要望だったはずだ。
業務としてプログラムの開発をしていると、その規模感からアーキテクトだなんだと立場が分かれるわけだが、つまるところ、「それをシステムにするならどうするよ?」を応えられるかどうか、ということだ。