マウンティングはヒトのオスの本能

お互いの意見の食い違いは何からくるのかを議論しようとしたら仲裁に入られた - プログラマーの脳みそでは、言い合いになった時に勝った負けたの話になってしまう論争をニホンザルのマウンティング(群れの中の序列確認の儀式)と揶揄したわけだが、これは生物としてのヒトの本能ではないか、と思うのだ。

類人猿*1は皆群れを作るし、その他のサルでも群れによる集団行動がみられ、近縁種であるヒトもその例外ではない。

そして、その集団の中で、ニホンザルのマウンティングのほか、チンパンジーに見られるチャージングディスプレイと呼ばれる示威行動など、種によって優位性を誇示するための示威行動は異なるが、概ね、サルのオスというのは順位付けを行うようだ。*2

ヒトのオスの場合、動物のような固定の示威行動はないかもしれないが、自己の所有物をひけらかす行為や、自己の指示に従わせようとする行為は示威行動なのかもしれない。

少年らの集団に見られる

  1. 持ち物を自慢する行為
  2. 下位とみなす子に何か行動を示唆し行わせる行為
  3. 言葉による威圧行為

というものは、サルにみられる順位付けそのものであろう。

これは、少年のみならず、大人であってもそれほど変わるものではないが、順位を決定づける要素は大きく変わる。少年のそれはサルに近く体力的な側面によって成される部分が大きいが、大人になるとそうした要素は評価が小さくなり、仕事の技能といった面が重視されるようになる。

生涯を通して変わらないのは「行動力のある人が上位につく」という面だろうか。アクティブな人というのは比較的上位に位置づけられる。特にこれいった技能を持たずに口うるさいだけのアクティブな人が権威を誇示するのは勘弁願いたいところではあるが(苦笑)

勝ち組・負け組

サルに序列があるとは言え、明確にランキングが行われるというわけではない。

基本的には、チンパンジーのオス間にはニホンザルなどと同様の順位序列が存在する。オトナオスはワカモノオスより優位である。ただし、オトナオス間では、できるだけ優劣を曖昧にしておこうとする傾向がある。一般的には、アルファ、高順位、中順位、低順位という順位区分をすれば、その階層間での優劣は明確に判断できることが多い。

チンパンジーの社会

アルファ、高順位、中順位、低順位という大きなグループがあり、それらの階層間の優劣は明確なわけだが、その中での明確なランキングまで作っているわけではなく、ほぼ同位の曖昧な状態にしておく。まるで人間社会を見ているかのようではないか!

人間の場合も多様な評価軸があるとはいえ、大きなグループとしての勝ち組・負け組を意識することもあろう。いわゆる社会的に認められる職業というのもあれば、下賤な仕事と評されるものもある。仕事も行わないニートもある。

しかしながら、じゃぁその中でいちいち俺とおまえのどっちが上か?なんてことを明確にしようなどとはしないわけで、そのあたりの順位付けは曖昧に行われているのである。

また、当人が俺はあいつに負けていない、勝っている!とどれだけ鼻息を荒くしようとも、それで集団の中の評価が定まるわけでもなく、周囲からの評価と自己評価のギャップに不満を漏らすものもいる。

チンパンジーは乱婚で優位のオスに交尾の機会が多いが、野生では下位のチンパンジーが「かけおち」することが観察されている。草陰に隠れていた気の弱いオスのところに、いつのまにか一匹の発情中のメスが寄り添っている。そして、一日、長い時は一週間以上も群れの中心から離れて遊動範囲の周縁へと「かけおち」する。

チンパンジー - Wikipedia

群れの中の序列から逃避行を行いたいのはヒトもチンパンジーも同じようだ。

まとめ

ヒトの男性が社会において順位付けを意識するのはサルのオスが集団内の順位付けを行うのと同じく動物としての基本的な本能ではないだろうか。女性側でも順位付けのような行動はあるであろうが、男性ほどヒエラルキーに囚われてはいない。このあたりもサルと同じように思える。

ヒトの場合、アクティブなものが注目を集めるという意味でも、行動力は評価軸として重要な意味を持っているように思う。しかし、行動力だけで評価されるわけでもない。少年期から大人になる過程で評価軸は変化するが、優劣の評価は常につきまとう


リアル社会で下位に甘んじている者が、ネット社会という別種の社会に出てマウンティングのようなことを行っていたりするのは非リア充であるが故の反動ではないかとも推測されるが、どこに行ってもマウンティングばかり意識してしまうというのは本能のなせる業ではないだろうか。

マウンティングによる虚構の順位を得ようとしても、すぐに綻びがでてしまう。いわゆるマッチョが強いのは虚構ではない力を持っているからという、とても単純で当たり前でつまらない理由による。マッチョに対して虚構のマウンティングで「俺の勝ちだ!」と叫んでも空しいばかりである。


ネットが新たに光を当てるのは、実社会では評価されない、しかし、虚構ではない力を持っている人間なのである。動画を作る技能であったり、ボーカロイドを歌わせる技能であったり、馬鹿なことを実践する行動力であったりするのである。現実社会でもネット社会でも人に貢献できないのであれば評価はされない。


ネットはマウンティングのフロンティアというわけではない。

*1:オランウータン、ゴリラ、チンパンジーボノボなど

*2:ボノボは他のサルに比べあまり強固な順位付けを行わない。平和的なサルのようである(資料)。そのかわり性的な行為にまみれているという点が特異だ。古来の日本人の性的多様性と協調性にボノボのそれを重ねるのは面白いかもしれないが、理論としては脆弱か。