論理が感情を作る

自分は論理が感情を形作ると考えている。

ある子供が他の子供のおもちゃを欲しがったので、力ずくで奪い取った。

大人にそれはいけないことだと怒られ、戦利品は元の子供の手に戻された。

あのおもちゃが欲しい。欲しい。欲しい。奪い取ってやりたい。

まぁ、ごく普通の出来事である。世の中の大半の人は、子供のころにこのような感情を抱いたことがあるのではないだろうか。

それが、自分が欲しいからと言って奪い取ってはいけない、それが仮に許されるとしたならば、自分のおもちゃもまたより力の強い子供に奪われることを許容しなくてはならない(対称性)。そんな戦争に明け暮れるよりも、所有権を認めた上で、貸し借りをして仲好く遊ぶ方がいいじゃないか。

というようなことを喧嘩しながら子供は学ぶ。「そんなことしちゃだめだよ」と言えるようになる。そうすると、最初から強奪しようなどと言う感情が芽生えなくなる。


こうした、成長の過程こそが、論理によって感情の湧きあがり方が変わっていくことの証左ではないだろうか。

こうあるべきだという論理が、自分の感情を制御するのである。