言葉が統一される日

IT業を生業にして、ネットにどっぷり浸かっている自分のような人間でも、物理的な土地に縛られている事実は否定のしようがない。

地域によって生活習慣も違えば、言葉も違えば、宗教も違えば、思想も違う。

これは物理的に人間が隔離されているからにほかならない。地域地域の気候風土的な事情を無視して画一的な文化になることは決してない。もしもそういう日が来るのだとすれば、それは人類が地理的な束縛から解き放たれる時代になってからだろう。

つまるところ、攻殻機動隊の世界のような電脳化時代が訪れ、今よりもずっとずっと人生における生活環境の占める重みがなくなった時代がくれば、生活圏がゆえの地域言語を話す必要はなくなるし、地域ゆえの文化に染まる必要もなくなる。

共通言語としての第一歩:ピジン

現在はデファクトスタンダードで英語が共通語になっちゃってるわけだけど、共通語となる言語の運命として、まずはピジン化が進む。

ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin languageまたは単にPidgin)とは、貿易商人など外部の人間と現地人との間に於いて異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。これが根付き母語として話されるようになった言語がクレオール言語である。

ピジン言語

言語のピジン化の過程で、言語特有の流暢な言い回しというのはだんだん単純化されるだろう。英語も特定地域で話されるものについては文法レベルで簡略化がされていたりするわけで、ネイティブ話者が減れば減るほど、ピジン化による単純化が進んでいくことだろう。

日本語はアジア地域では結構話されているわけなんだけど、日本というのは島国でかつ、周辺地域との経済格差も大きいことから人の出入りが少ないという事情もあってか、こうした非ネイティブの話者によって話されるカタコトの日本語というのに随分と厳しい感がある。

「外国語を学ぶのが嫌だから日本語が世界言語になっちゃえばいいのに」というなら、若者言葉のようなスラングやら方言やらからくる言い回しどころではない日本語の乱れが襲いかかってくるのを許容しなければならない。

英語はもはや、そういう言語の道を歩み始めている。流暢な英語なんか話すなよ、分かるように話せよ、というのが世界語としての英語。そういう文脈からすれば

ネイティブの英語論文より非ネイティブの英語論文の方が読みやすい場合がないか?

むしろこれから起こるのはネイティブイングリッシュの破壊であるとか - かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

という感想は至極もっともな話。

共通言語になっちゃってから:クレオール

そんなわけで、素体*1にいるよりネットにいる時間の方が長いよね、すっかり世界語ばかりを話す日々になっちゃったよ、という人が世界の多数派になるころ、ピジン化の果てに英語は根付き母語として話されるクレオールになってしまう。

ひとたび電脳化が普及してからのことであるから、再度地域化することはないだろうから、このクレオールは独自の流暢な言い回しが生まれてくることだろう。単純化して世界に普及した後は、再び複雑化するわけだ。

この時代の言葉の流行はネットワークの波に乗り、スラング的な普及からスタートする。いつしか皆が当たり前に使うようになって標準語化して取り込まれていくわけだ。

*1:そたい。攻殻機動隊で物理的なボディのことを指す。電脳化は文字通り脳を電子化しちゃうわけで、体という入れ物の意味は生体におけるソレとはかなり価値観が異なる