惹かれる文章

 僕は文章の巧さとか稚拙さというのは、言い回しであるとか用いる語彙とかで決まるものではないと思っている。そうした表層を飾れば人を引き付ける文が書けるなんて風には思っていない。そういうテクで人を惹きつける文が書けるのだとしたら楽なのだけども。

 毒にも薬にもならない文というのは結構あって、つまるところ、読んだ後に自分になんらの影響を及ぼさない文。これは、表現方法によって決まるものではなくて、語られる内容によって決まるもの。例え恋空のようなケータイ小説調で書かれていたとしても、それに共感するだとか、何かに気づかされるだとか、何かを考えされられるだとか、その文を読んで自分が変わったと思えるなら価値がある。

 そうなると、人に読まれるような文章を書きたいと願うならば、結局のところは人に「なるほど」と思ってもらえるような考察をするだとか、人に面白いと思ってもらえるネタを探し出してくるだとか、そういう苦労をしょい込む必要がある。表現の枝葉末節をどうにかするなんて話よりも数段難しい課題である。

人生経験だとか

 自分は小説の応募とかはしたことがないけども、懸賞付きの公募の結果などは幾度か見たことがある。講評で「筆者の人生経験うんぬん」とか言われていたりとかするわけなんだけど、学生時分の自分なら威勢良く反発したかもしれない。今だと「まぁそうなんだろうな」と思えてしまうのは歳をとったからだろうか。

 「人生」なんて言い方をするから反発するのであって、まぁ、結局描こうとしている対象物について、やはり洞察と言うか経験と言うか、そういうものがないと表現できないというのはあると思う。未成年が煙草や酒について語るとすれば、それは経験の伴わない知識やイメージで語らざるを得ない。*1

 自分は大学を中退してIT業界に飛び込んだような人間なのだけど、小学生ぐらいからプログラムを書いていたような奴だから、プログラムをすることは問題なく行えた。だけども、世の中がどう回っているかなんてことはやっぱり良く分かっていなくて、いろいろと失敗をすることになった。「お前はシステム開発がどういうものだか分かっちゃいない」なんて言われては悔し涙を流して自問するような夜を過ごしたりもした。

 学問なんかはペースアップして若くともどんどん先に進むようなことができる。プログラミングなんかもそうだ。反面、対人スキルというか、人に接する能力と言うのはなかなかそうはいかないものなのかもしれない。

 だからって悔しいじゃないか。若いというだけで軽んじられるのが悔しくて仕方がなかった。

プログラムを綴る

 http://blog.pettan.jp/archives/50615845.htmlプログラミングと文章を書くこと - GoTheDistanceでは、日本語で綴る文章ってものと、プログラム言語で綴るプログラムを対比すると言うところが面白いわけなんだけど、読みやすさの考察では表現の枝葉末節の論に終始してしまっているように思う。これは貶めて言っているわけではなくて、読みやすさの要素は複数あってそれを意識するべきじゃないかという提案だ。

 何かを説明する文章というのは、表現の枝葉末節の巧さで分かりやすくなるというわけではなくて、理解に対してどのようなアプローチをとるのかという思考の筋が大事なんだ。どうも今までに見たアプローチの仕方ではどうにもうまく伝えられない、どうしたものか、と考えて新しいアプローチ方法を思案する。

 そうした試行錯誤から、「なるほど、こういう説明のアプローチというものがあるのか、これは分かりやすい」というものが生まれてくる。そういう文を書く人のblogを見ると、「あぁ、この人は文章が巧いな」と思うのである。


 プログラムの綴り方の巧さというのは、そうしたアプローチの巧さというところが大きい。スペースを入れるだとか改行を入れるだとかなんてのは、今だと自動で機械的にやることもできてしまう。*2実はそこを人力でちまちまと直す意義は少ない。

 そうではなくて、大筋の設計というかアーキテクチャ選定というか、そうしたアプローチにこそ凝るべきだ。適切なアーキテクチャであれば、プログラムと言うのは自然と素直になる。筋の悪いデータ構造だとか、アプローチを誤ると見通しが凄く悪くなる。こうなると、どのように表現を工夫したところで読みやすさの向上は望めない。

敵を知り己を知れば百戦危うからず

 敵を知り己を知れば百戦危うからずと思うからこそ、僕らは敵を知りたがる。己を知りたがる。文章表現の巧さってなんだろう?プログラミングの巧さってなんだろう?

 だからこそ同じような話題をプレーヤーを替えては幾度となく繰り返し、新しいアプローチを探っている。

 ニュートンは「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」と語ったけども、僕らはニュートンら偉大な先達の肩に乗って山頂まで上りつめようとしている。そしていずれは山頂までロープウェイで簡単にやってこれるようにしようと試みている。そう、プログラミングハイウェイ構想だ。

 そのためには、人間の脳みその構造を知る必要があると思う。認知心理学などは触れてみるととても興味深く思えるジャンルだろう。


 人の脳みそはこういう作りなのだから、そこに適したアプローチはこうするべきなんじゃない?


 そういう議論を進めれば、プログラミングハイウェイは割と早く整備がすすむのかもしれない。

*1:もちろん煙草と酒なので、未成年が経験して語ってはいけない

*2:Eclipseならformatの機能で一発だ