属人性と属技能性

一般的に。属人性の排除の最たる部分としては「誰でも出来る」というのが上げられます。
(中略)
誰でも、の「誰でも」とは「適切な訓練がなされている人間であれば」。言い換えると「ちゃんと知識とスキルがあれば」「きちんとトレーニングされていれば」。

希に、属人性の排除をそのまま「ノースキルノー知識でOK」とか読み替える人がいますが、とんでもハップン歩いて10分でございます。

「属人性の排除」という考え方 - gallu’s blog

 このあたりは拙稿メンテできないからショベルカーなんていらない、つるはしでいい - プログラマーの脳みそでも考察していた。

 属人性の誤解は属人的な状況「Aさんにしかできない」という状況の分析の過ちに端を発するのではないだろうか。

  1. 車を運転するには運転免許が必要だ
  2. このなかで運転免許をもっているのはAさんしかいない
  3. 車の運転はAさんにしかできない属人性のたかい事象だ
  4. 属人性が高いため、自転車などの代替え手段を用いることにしよう

 現在いるメンバーのなかで車を運転できるのはAさんしかいなかったとしても、運転ができる別の人を雇えばすぐさま仕事をスイッチできるのだとしたら、それは属人性が高いとは言わない。その仕事は人に依存しているのではなくて、車を運転できるという技能に依存しているのだ。

 そのような属技能性*1を属人性と見誤るのは、技能を持った人がレアな現場ならではかもしれない。つまるところ、IT業界の現場には技能をもった人材が少なく、ある程度の技能を持った人なら円滑に引き継ぎが可能な状況であっても、その人が抜けるとどうにもならなくなってしまう。

 ゆえに、その属技能性を属人性と混同し見誤るのだ。

*1:これは私が作った造語だが意味するところは分かると思う