消費者と作り手と

 単なる消費者という立場を離れてモノを作る側に回った時に、とりわけ心理的につらいのは根拠のなく無能呼ばわりされる事ではないだろうか。海外に行くとよく分かるのだけど、日本に流通している製品というのは凄く質がいい。そして多くの消費者はそれを当然のことだと思っているし、その品質を維持するための努力なんてこれっぽっちも評価しない。日本のモノ作りを一番軽視しているのは日本人じゃなかろうかと思うのだ。

 ことエンターテイメントの世界と言うのは、「あんなもの俺でもできる」という根拠ない自信家に貶められるのが通例となっている。野球中継を見ながら俺ならどうするこうすると管を巻いている親父に、じゃぁやってみろよ、と言うと全然できやしないのだけども。

 スポーツを含め、音楽、マンガ、映像コンテンツというのは、非常に大きなプレーヤーやクリエーターのピラミッドを形成しており、商売として成立するラインと言うのは結構高くて、そこまで到達できないのが大半だ。なんとか到達したとしても、トップとの比較に晒されて「大したことない」と言われてしまう。

 普段は自分と相手という比較をして「凄い!」と言えることが、「凄くて当たり前」とされてしまうのが作り手という立場。凄いものを見て「ヤバい」と表現するのは作り手側に回った人間の心情から来ている。こんなクオリティーのもの当たり前のように出されたら俺はどうりゃいいんだよ!っていう「ヤバさ」なのだ。

 痛いニュース(ノ∀`) : ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 - ライブドアブログの話はよく分かる。これは作り手側に回った人間の本音そのものだろうね。モノを作る仕事に就くと、自分が今までそのジャンルをどれだけ軽視してきたのかを思い知る。あれほど簡単に思えたものが、あれほどけなしてきたものが越えられない自分を絶望して眺めることになる。

 同じ土俵に立った時に、いままで見えていなかったものが沢山見えるようになる。鉄火場に足を突っ込んだときに、結局そんな理想以前のところで自分の無能を知ることになる。ただ、対岸の火事だと思って語った理想論が、地獄のような鉄火場の中で自分の進む道しるべになるのだから皮肉なものだ。