インドネシアはフローレス島の森には小人が住んでいるという伝説がある。近代でも嘘か真か目撃談があるのである。そんなフローレス島でホモ・フローレシエンシスの化石は発見された。身長は1mあまり。これはヒト属においても島嶼化が起こったのではないかとされる。
ホモ・フローレシエンシスは1万2千年前に起こった火山の爆発で、ステゴドン等と共に滅んだと考えられるが、現在も生き残っている可能性がある。もし、ホモ・フローレシエンシスが生存していたならば、それは現在の人権問題を大きく揺さぶることだろう。
今から2万年前ぐらいまでは、我々ホモ・サピエンスの先祖はホモ・ネアンデルターレンシスと共存していた。その距離感はどのようなものだったのだろうか。案外、外国人集落のようなものと変わらない距離感だったのかもしれない。
種を分かつモノとして、生殖行動の互換性が重視される。交配可能でなければ生殖的隔離が確定的だ。地理的要因によって隔離された場合にも生殖的隔離とみなされ別種として扱われることがある。ニホンザルとタイワンザルがその例として挙げられることが多い。
現生人類においては「種」の違いを語るのはタブーとされている。地理的に隔離された生態学的種に相当するものはホモ・サピエンスでも明確に存在するだろうが、それは言ってはいけないお約束になっている。ここでもし、化石では別種と断定されているホモ・フローレシエンシスやホモ・ネアンデルターレンシスが生存していたら、そして交配可能だとしたならば、我々人類は政治的な理由でひとつの種とされるのかもしれない。
もしも、そのうちどちらかとホモ・サピエンスが交配不可能だったら?あるいは、これらの種の知能がそれほど発達していなかったら?我々は彼らの人権を認めるのだろうか?
ヒト属よりも縁の遠いヒト亜科のアウストラロピテクスが現存していたらどうだろうか?もうちょっと縁の遠いヒト上科になるとチンパンジー亜科のチンパンジーやゴリラが登場する。我々は彼らに人権を認めていないわけだが、アウストラロピテクスなどヒト亜科となればどうか?
ホモ・フローレシエンシスの存在はこうした人権の線引き問題に大きな波紋を起こすだろう。