ベーシックインカムでネットゲームを変える - プログラマーの脳みその論に反論をいただいた。業界筋の方から意見を伺えるというのはとてもエキサイティングなことだ。
ゲームの一要素が機能不全に陥るのを気にしないって本当?
id:godnee氏によれば
ゲーム内通貨量の調整というのは、(中略)そもそも現実の通貨と同様の動きに近づけなければならない(シミュレーションとなっていなければならない)という前提に立っていません。
http://d.hatena.ne.jp/godnee/20090124/1232813979
ゲームとして楽しい要素を盛り上げることをするべきであり、通貨の流通量を気にしこそすれ、主眼には置かないのです。
まず、「ゲームはユーザを楽しませるものだ」という前提を提示しているが、これには私も大賛成である。ただし、ひとくちに「楽しませる」といっても楽しませ方の方向性というのはある。楽しさの属性というか要素というものがあって、単一の要素でもって全ての人間を満足させることはできない。だから、どういった要素の楽しさを提供して、どういった要素の楽しさを捨てるのかを考えなければならない。これがゲームのコンセプトになる。
ゲーム内の通貨は、もちろんゲームを楽しませるための一要素として機能させたい。ところが、ひとりでプレイする、ネットワークにつながらない旧来のRPGであったとしても、後半になると機能不全を起こす。これを許容しているということは、ゲーム内における通貨は「序盤でのみ意味をなし途中からどうでもよくなる要素」でるあることを許容していると言える。
さて、非オンラインのゲームは個々のプレーヤー毎に用意された世界だった。これをネットワークで繋いで単一の世界を作り出す。そうした場合に、「序盤でのみ意味をなし途中からどうでもよくなる要素」がユーザ間で受け渡しされることで、序盤でのみ意味をなしていた機能が、序盤でも意味をなさなくなり、まったくの機能不全に陥る。
ゲーム内通貨は、ユーザにいくつかの選択肢から選択をさせるという演出をする。1000Gを手にしている状態で、武器が800Gで防具が700Gでどっちを買うべきか、みたいな話だ。しかし、バグなどではなしに、ゲーム内で合法的に大金を得られる道が用意されていれば、そうした仕掛けは全て意味を成さない。
序盤からいきなり強い武器を手にしてモンスターなんか全部雑魚だぜ!俺ツエー!っていうのが望んだゲームバランスなんだろうか。必死になって調整しているゲームバランス全部がぶち壊しじゃないか。*1
MMORPGの設計時に運営の収入元を考慮しているか?
通貨の機能不全はゲームバランスに対して少なからず影響を及ぼす。その点でid:godnee氏の主張はちょっと受け入れられない。
ここで、頭を一気に切り換えて、MMORPGの運営について考えよう。旧来のゲームはソフトを作ったら後は売りっぱなしであった。しかし、ネットワークゲームはサーバの維持管理が必要なる。売った後もかなりのカネがかかり続けるのだ。
だからこそ、定期的な収入を得る方法論を考えなくてはならない。簡単にはサーバ使用料を月々いくらと徴収するような手法だが、有料ゲームの難点はユーザを集めることが難しいことにある。無料と有料の間の厚い壁だ。無料で提供していたベータ版から、有料の本番サービスに移った瞬間にユーザ数が激減することはよく知られている。
そこで、アイテム課金という方向性に最近は移ってきている。無料でもゲームを楽しめるけど、有料でもっと楽しめるよ、というわけだ。まずは触れて楽しんでもらわなくてはならない。試供品のようなものだ。
運営側はユーザに課金アイテムを買わせ続けなければならない。月あたりサーバ維持費分だけは買い物してほしい。そうなれば、買い続けるだけの必然性を生み出さなくてはならない。ゲーム内における消耗品とするか。あるいはよいよいアイテム、よりよいアイテムとアップグレードを続けるのか。後者は永遠に高騰し続けることを覚悟しなくてはならない。価値観が崩壊するまでゲーム世界にどれだけのユーザが残っているだろうか。
楽しませるためのインフラとしてのリアル
課金アイテムがある日突然無料配布され始めたらカネを払ったユーザはどう感じるだろうか?ユーザは暴動を起こすかもしれない。
アイテム課金によって現実通貨がゲーム内のアイテムへと変わった。それまではただのゲーム内のデータにすぎなかったものが、リアルな世界のカネと結び付いたことを意味する。運営がいかに禁止しようとも、1万円相当を払って手に入れるゲーム内アイテムは現実通貨の1万円で取引されうる。
このアイテムが消費されるタイプのものだったとして、同様にゲーム内で消費されるゲーム内通貨とバランスするところがあるならば、ユーザはこの課金アイテムをゲーム内通貨で取引することだろう。ゲーム内の通貨がリアルな通貨に似た価値を持ち始める瞬間だ。
- リアル通貨 → アイテム (運営によって変換)
- アイテム ⇔ ゲーム通貨 (ゲームシステムとして、あるいはユーザ間での取引)
このような交換を可能になった前提で、ゲーム内の通貨のインフレとは何かを考えよう。ユーザの意識下には
- アイテム → リアル通貨
がある。これはRMTで具体的に換金されるとかを差し置いたとしても、リアル通貨1万円で買ったアイテムには1万円の価値があると意識するということだ。
アイテムとゲーム通貨の交換は、双方が妥当と思って成立する。*2しかし、売買後のインフレでユーザの持つゲーム通貨の価値は目減りする。これははたして面白い出来事なんだろうか。いやまぁジンバブエのハイパーインフレなんかは不謹慎かもしれないが対岸の火事として見る分には面白いのかもしれないが…。
「こないだ100Gで買ったどうのつるぎが、今日は200Gで売っている。ボクが150Gで売ったら、きっと買う人いるだろうな」「うわー、あんなに苦労してとってきたのにぃ、投げ売りだぁ」という喜怒哀楽のほうを、MMORPGでは提供していきたいものです。
という発言を見る限りでは、相場の波にのまれて泣きを見る人が出ることをid:godnee氏は許容しているようだけども。
所詮はゲームの通貨なんだからインフレしようが関係ないよ、というのは
- ゲーム内通貨によってなされているバランス調整の崩壊
- アイテム課金制度の崩壊
という点で私は同意できない。通貨が不安定な世界で現実貨幣を投じて購入したアイテムが物々交換でのみ取引されるようになるのが望まれるとは思えない。
ベーシックインカムによるインフレの抑制
私が提唱したのはベーシックインカムによるインフレの抑制だ。ゲームの経過時間と、収入、支出のイメージをグラフ化してみた。
序盤ではほぼ0からスタートする。通常RPGは敵の強さと倒すことで得られるカネは単なる比例ではなく、2乗に比例するような感じだ。なので双曲線を描きぐんぐん伸びていく。収入が上がるたびに武器・防具などに替えていくから支出は収入とほぼ同額になる。差額は貯金になるわけだが、どうせ欲しいアイテムがあれば使ってしまうので誤差と思っていい。
ある時点でそれ以上買うべきアイテムがなくなると、消耗品のアイテムを買うだけになるので支出ががくっと落ちる。収入も、出現モンスターの上限に達した時点で収入の高騰がとまり横ばいになる。この収入の線と支出の線の間の開きがダブつくカネだ。これは時間当たりということを忘れてはならない。時間と余剰金とのグラフは以下のようになる。
では、私が提唱したベーシックインカム方式はどうなるか。
序盤から収入があるためグラフは高い位置から始まる。切片は0ではない。やはり収入はモンスターを倒すことで得られるとし、その金額も2乗に比例するとしよう。グラフ的には先のグラフとあまり変わらないが、位置が高くなっているのがわかる。
ダブつくカネも先のグラフと形は類似だが小さくなる。ベーシックインカム部分のカネの回転が流通貨幣を大きくするからだ。
ゲーム内の通貨システムの崩壊を回避することができるのではないろうか。
ここからが面白くて、モンスターを倒すことを主たる収入源としないゲームデザインが現実的になる。ベーシックインカムを採用すると、「収入を稼がないのに通貨による取引ができる」というところがミソだ。モンスター討伐方式の場合、そもそも取引をするだけのカネを持たない状態からスタートするから、売買と言う行為は稀にしか行えない。対して定期的な収入があるのだから消費財を多く設計して買い物を楽しませるような「楽しさの要素」へのアプローチも可能だろう。
もっとも、どんな楽しさを目論むかはゲームデザイナーのセンスによる。これはひとつの提案に過ぎない。しかし、モンスター退治に主眼を置かないMMOPRGのようなものを考える場合のひとつのアイデアとなるのではないか。
ゲームサービスを提供し続けるために
ゲームは面白いし可能ならば無料でやりたいのはそうだろうが、かといって作る方も収入がなければゲームを作ることもできないし、サーバを維持できなければユーザにゲームをさせることもできない。そんなわけで、永続的なゲームの場を提供してもらいたければ、相応の維持費は払おうよ、と思う。
逆にサービスを提供する側は、ユーザには楽しみながらカネを払って貰えるようにしなければならない。一律課金ではユーザが集まらない。ユーザが集まっていることがMMOのだいご味なんだから、まずユーザを増やしたい。かといって無料では運営を続けられない。アイテム課金はそういうジレンマの中から生まれてきた。
こうした課金制度は純粋にゲームをプレイするという視点で見れば邪魔なものかもしれないが、考えておかないとサービスを提供し続けられないんだから考えないといけない。
申し訳ないのですが「プログラマーが神」と思い至るのは、それが「ゲーム」ではなく現実の「シミュレーション」を作ろうとするからだと思うのです。
「ゲーム」においてプログラマーに必要なのは(仕様をキチンと実装すること、という淋しいハナシは置いといて)カッコイイ「神」になることではなく、「エンターテイナー」でなることだと思います。
通貨量云々を講じるプログラマーは必要ありません。
私はこの論には賛同できない。通貨量云々を講じるプログラマーがいないとゲーム世界をサービス停止という形で滅ぼしてしまう。サービス継続とか何も考えずにゲームをデザインしていいのは売り切りのゲームまでだ。
神様ってのは何もしなくて偉くてふんぞり返っている権力者なんかじゃない。世界を回し続けるために、僕らの見えないところで凄い苦労をしてくれているから偉いんだ。神様が下手な決断を下したら世界に住まう僕らは神に罵倒を浴びせる。だからこそ、世界が上手くいっている時は感謝をこめて手を合わせようよ。