死んだ人、バグった人、作られた人

 月曜に祖父さんが危篤と知らせを受けて病院に駆けつけた。僕が駆けつけたときには祖父さんは意識はなく、見開かれた瞳は焦点を合わせることもなく、呼吸器をつけてただ息をするだけだった。そのままあっけなく祖父さんはとまってしまった。何の反応もなく呼吸だけする祖父さん。呼吸すらしなくなった祖父さん。もう会話ができない祖父さん。祖父さんは何時死んだのだろうか。

 先日、知人とタクシーに乗っていた。同乗していた知人が急に痙攣を起こし救急車を呼ぶ事態となった。痙攣が治まったあとしばらくは混乱しているのかまともに対話できない状態だったし、行動も異常なものだった。一時的とはいえ痴呆状態に近い感じになる。脳みそのバグを垣間見て、僕が彼に求めたのは何だったかを考えた。また正常動作しているときに対話しましょう。

 ついったーのぼっとの話をしていた。チューリングテストをクリアするようなボットならば友人たれる。愛人たれるのかもしれないね、なんて話をしていた。ボットをはべらせるのが流行るかもしれない。ボットが止まってしまったならば、データが失われて今までと同じように対話できなくなってしまったならば、ボットの死を僕らは悲しむのだろう。

 僕は強いAI論者。対話できるなら人でもボットでも愛し、その別れにわななくのだ。