一方的な非難を陰謀説で考えるのは筋が悪い

  1. blogにエントリを書いた
  2. はてなブックマークがついた。たくさんついた。みな口々に「これはひどい」と言っていた
  3. 反論エントリを書いた
  4. 反論エントリにもブックマークがついた。みな口々に「これはひどい」と言っていた

というシチュエーションがあったとして。

ここで、そもそものblogの主張が正しいと仮定した場合と誤っていると仮定した場合に分けて考えてみよう。

主張が正しいのに「これはひどい」と言われたと仮定する

 正しい主張をしたと仮定して「これはひどい」と言われるのはどのような原因が考えられるだろう?

  1. 読んだ人がみな馬鹿で主張を理解できず「これはひどい」と言った
    1. 読んだ人がみんながみんな馬鹿である
    2. 読んだ人がみんながみんな誤解している。読み違えている。ミスリード(misread)している
    3. 読んだ人のうち、馬鹿ではない人もいるかもしれないが、ブックマークを付けた人は馬鹿ばかりだった
  2. 読んだ人がみな結託してネガティブコメントを書いている
    1. 読んだ人がみな叩きたいがために群がってきたネットイナゴである
    2. 読んだ人のうち、イナゴではない人もいるかもしれないが、ブックマークを付けた人はネットイナゴばかりだった
  3. 読んだ人のうち最初の数名がネガティブコメントを書いたため、叩く空気ができ、同調圧力で皆が叩いている
    1. 独自の主張をする人がいないのは偶然説
    2. 独自の主張をする人がいないのはそれほど同調圧力の力は凄まじいのだ説
      • 同調圧力を受けるために、ブックマークする前に他の人のブックマークをみんながチェックしている前提

 どれもかなりトンデモな主張じゃなかろうか。このような想定をするより、矛盾するのは仮定がおかしいからだ、という背理法の方がよほどシンプル。つまり、そもそものblogの主張が誤っているとしたらどうか、ということだ。

主張が誤っていたので「これはひどい」と言われたと仮定する

 説明不要。

 いやまぁ、「もうやめて、blog主のライフは0よ!」みたいなケースもあるけど。

ブコメという総体は存在しない

 ブックマークコメントの正体は、個々のブックマーカーがブックマークするにあたってつけたコメントである。「はてブ」という意識体があるわけじゃない。最初のエントリについた「これはひどい」と次のエントリについた「これはひどい」のブクマユーザは同一なのか?継続して話を追いかけブックマークしている人もいるだろうが、一見の人も多くいる。同一ユーザがエントリをおいかけながら、私怨で「これはひどい」といい続ける、本当の意味でのネガティブコメントという存在は否定しないが、そのようなブックマークは極少数なんじゃないか。まぁそもそもの主張が違う人から連続して「違うだろ」って言われることはあるだろうけど、それをネガコメと呼んじゃいけない。たんなる見解の相違だ。

 連続したエントリがあり、そこに連続して同じ評価が与えられた場合、陰謀説を考えるのは筋が悪い。陰謀を仮定して話を進めるとどうにもこうにも矛盾が出てくる。多くのユーザがいれかわりたちかわりblogのエントリを見る中で、同じような感想を持ったということはおおよそ客観的な意見だと見る方が矛盾がない。

 誤ったことを言っても批判されたくない、みんな俺の言うことを聞いてあがめたてまつれ!という人はインターネットという公開の場で発言しようとしないほうがいい。残酷なまでに客観的な意見が多数派だからだ。同意してくれる人だけを集めたようなクローズドな場でもなければ誤った言説に賞賛は送られない。

 これは、有名人の発言だろうと、アルファブロガーの発言だろうとそうだ。学者先生だろうとおかしなことを言えば「それは違うんじゃないの」と言われる。はてなブックマークはアクセス制限がかかっているほどのクローズドな場所は手が出せないが、そうではないネット上の空間であれば暴力的に客観性の対象にしてしまう。

同一ユーザからの一方的なブクマコメント

 これに関しては、本当に私怨でねちねちとネガティブコメントを付けている可能性を否定できない。そうした人とどう対話するかというのは確かに難しい。

 それはそれで問題だとは思うが、しかし、それって多数派なのか?ということだ。そうした例は少数でノイズ程度なんじゃないかと僕は考えている。「一方的な非難を受けた」のであれば、それはおおよそ「一方的にそのエントリが誤っている」のだと思う。

ネタ元

正直に自分が思った「一方的になりやすい理由」をシンプルに言うと「はてブコメントに反論するってどうすりゃいいの?」ということだ。

これがIRCなら捕まえてprivで話し込めばいい。twitterならreplyすればいい。blogならコメント欄かトラックバックである。
これが2chならスレに殴りこみにいけばいい。匿名か記名かは関係が無い。ふたばチャンネルだったらスレが2時間で消えるのでその点はちょっと難しいが、そもそも批判があっても消えるまでに気づける可能性自体低いのでさしたる問題ではない。

http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=3972

 批判があったとして、批判した人と直接対話できたとしよう。

  1. 自分が間違っていた。元の発言を撤回する
  2. 自分が間違っていたが、相手の批判を撤回させる
  3. 自分が正しかった。相手の批判を撤回させる

のどれだろう?

 自分の誤りを認められない人が、顔を真っ赤にして批判を批判する図(上記2番)はよく見かけるけども、誤った言説をしても、批判をされないことを望んでいるのだろうか?そもそも3番なのだとしたら、なぜ正しい意見に批判が殺到するのだろう?実は間違っているのは自分の意見の方なんじゃないか、と考える方が矛盾しないというのは先に述べたとおり。

 結局、誤った言説に対してはどれほど双方向性があろうとも、批判されるわけで、対面で虎の威をかるような、暴力や権力をちらつかせての言論統制的なことでもしない限り、批判は免れえない。

 「一方的」とはなんだろう。誤った言説にみなが一斉に「それは違う」ということだとすれば、それは健全の証。

 特定のユーザがストーカー的に付きまとってネガコメをつけることを指しているならそれは問題だとは思う。

しかし、たとえば理不尽な酷評が多少なりとも減ることで天才の数が増えるのなら、それはメリットなのではないか。

http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=3969

という意見には、もろ手をあげて賛成するところだけども、ネガコメストーカーはこれからblogを始めようという人にそれぞれ憑くほどに数はいない。このネガコメストーカーに反論しにくいことをもって「一方的」とするのだと、そもそも「はてブは一方的になりやすい」という前提が怪しくなってしまう。

追記

 仮定を明確に仮定と表記していなかったのを修正した。