blogという非同期通信コミュニケーション

 blogというツールをよく日記に例えることがあるけども、互いの言及をトラックバックという形で結ぶ様は、とても日記には似つかわしくない機能性なわけで、不適切な例えだと思うんだ。いやまぁ日記のように使うという使い方も否定はしないのだけども。

 ネット上での文字情報によるコミュニケーションというのは、音声会話と違って、こっちの言い分が伝わったのを確認しながらの、つまり同期をとりながらのやりとりというのが苦手だ。同期/非同期という視点でコミュニケーションのあり方を見つめなおすと面白いんじゃないかと最近思いを巡らせている。

 blogでもBBS*1でもtwitterでもIRCskypeのチャットでも、あるいはメッセでも、その傾向はあるのだけど、こと1つの通信単位における情報量が多いものほど同期しにくいように思える。つまり、1行単位で送信されるチャットやメッセは比較的同期しやすく、twitter、BBS、blogと情報が詰め込めるようになればなるほど話を同期させにくくなるように思う。

 BBSでの議論の難しいところは、1つの投稿に複数の論点が盛り込まれるところにあるんじゃないかと思ってて、かなり気を付けて論点整理しないと論点を見失う。さらに、途中参加の人が割り込んできて、流れを掴まないまま新しい論点を加えるもんだから大混乱だ。

 比較的同期がとれているチャットなどでの議論は、論点の分散はそれほど多くはない気がする。blogに至っては各々が思ったことをそれぞれの論点をくわえて書くもんだから、参加者がよほど議論するスキルを持っていないと議論にならない。そもそも論者はそれぞれ別の方向を向いて放言しているのだから、話が平行線どころか、話はねじれの位置にあったりする。

非同期通信はスループットが高い

 じゃぁ非同期通信はやめようという話なのかと言うと、そういうわけではなくて、通信量ということで言えば非同期通信の情報の方が多く扱えるというメリットがある。時間や空間*2を共有しなくともよいというメリットがある。TV番組は30分なら30分かけないと情報を得ることができない同期型のメディアだが*3、本やblogなどは訓練次第で大量に読むことができるし、ある程度読んだところで要・不要を判断して切り捨てることも簡単。

 そう、対面での情報通信になぞらえた、音声と映像による、言いかえれば聴覚と視覚に与えられる刺激の時間軸での変化による通信はスループットが悪い。文字による情報のやりとりは人間の本能ではなく文化によって後付けで得た能力ではあるが、視覚に根ざしているとはいえ、「時間軸での変化」の制約を受けないという点で、スループット向上が望める別種の通信プロトコルなのである。

 僕が近年TVを見なくなった理由の一つにはこのスループットの低さが挙げられる。BGMとして流しておくとか、ながら見するとかするしかない。

*1:ネット上での掲示板のこと。電子掲示板。Bulletin Board System

*2:ネットが空間の共有に関しては制限をゆるめたと言える

*3:視聴時間に関してはビデオの出現以降、制約が弱くなった