「『不快だからやめろ』が不快だからやめろ」というパラドクスに喧々諤々というネットを見ていて「村祭り」みたいに言う人もいるけど、別にネットの総体がそれというわけでなし、個人と集団を同一視する考え方もまた危ういんじゃないのとか思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
「なんで未だにこんな初歩的なことも分からない奴がいるの」とdisってる人は、毎年毎年、小学1年生が学校に入学して足し算とか教えられている現実を見てはどうかと思うわけです。集団には抜けていく人もいれば、新たに入ってくる人もいる。抜けていく人というのは死んだ人が多く、入ってくる人は生まれてきた人が多いのですね。
話を単純に考えるために概算で、平均寿命が80歳で人口が増えもせず減りもせず停滞しているなら毎年1/80の人が死に、毎年1/80の人が生まれてくるわけです。ある時点で全員が供給する常識があったとして、毎年1/80ずつそれを知らない人が増え、その層に常識を伝播するのに手間取るなら、常識を知らない人がどんどん増えてきちゃうわけですね。
時代遅れの考え方を老害と呼ぶならば、それも毎年確実に減っては行きます。しかし、その代わりに毎年新たに生まれてくる層に対して莫大な費用をかけて教育からやりなおしってんだから、思想の新陳代謝のために費やすコストというのは馬鹿になりませんね。