http://d.hatena.ne.jp/fk_2000/20071117/p2
以前わんくまのほうに小人さんネタを書いたのだけど、
概要をざっくり説明すると脳のメモリー構造はPCのそれと同じく、
早いが少量のキャッシュメモリのような領域と、
遅いが大容量のストレージといったものとの多段構成になっているのではないか、という話。
データ容量に限りがあってある分量を超えるデータを扱い始めると、
キャッシュからスワップアウトされるデータが出てくる。
つまり、自分で書いたプログラムなのに書いた記憶がないとかいう症状がでる。
私はこれをIT業界の伝説の存在「小人さん」として捉えている。
忘れたころに読み返す自分のソースコードは面白い。
時に稚拙で、そして時に恐ろしいほど賢かったりする。
メモリをめいいっぱいその当時の関心ごとに使っていたから書けるプログラムだったりすることがある。
今の自分は過去の自分より進化していると信じて疑わないが、
今それを越えるプログラムを書こうとすると、まず過去の記憶から脳のワークエリアに
関連技術を全部ロードしなくてはならない。
そういう理由で、超えるコードを書けるとは思うのだけど、その労力の大きさもまた感じてしまう。
ソースコードやblogといったものは過去の自分のメモリの外部記憶装置のようなものだ。
それを見たときに、「ありたい自分」の姿とブレていないのであれば、誇らしく思う。
もはや全てを記憶することは諦めた。
ただ、あらゆる場所での「自分が発したとされる発言」が全て自分で責任を取れるものであれば良い。
極端な話、たとえそれが真に自分でなくても構わない。そんな気がしてきた。
アイデンティティに対する固執がなくなってきた自分は、いずれ情報のハザマに溶け込んでしまうかもしれないなぁ。