食べる・食べられる

痛いニュース(ノ∀`) : 自宅で亡くなった女性、飼い猫20匹に食べられる…ルーマニア - ライブドアブログ

感情的にはショッキングかもしれないが、人間だって肉には違いなく、物理的な話で考えれば

  1. 餓えた猫
  2. 60kg相当の新鮮な肉塊

→食べる

というのはなんらの不自然もない。ただ、人間である我々は「人間が食べられた」ということに強いショックを受ける。

エロとグロ

エロもグロもそうなのだけど、それに対して人間の心情を強く刺激するという点で同じ。人間は本能的に特別に反応する何かをその内に持っている。

それらは何かと言えば生存のための本能だろう、と私は思う。エロは生殖にかかわる事象であるし、グロは危険な事象なのだ。惨殺された死体を見れば、自分がその死体の立場になる未来を想定し、その犯人(猟奇殺人かもしれないし、熊などの獰猛な動物かもしれない)から身を守ろうとする。そのあたりに潜んでいるとすれば逃亡しなければならない。死体に対して特別な反応を示すことは、生存のための重要事項であるからだろう。

人間の非対称性

人間と言うのは現状では食物連鎖の頂点に位置し、食べることはあっても食べられることがない存在であるわけで、その例外事項である人が虎に食べられた、などという事件がことさら報道されることになる。要は珍しいのだ。*1

この地球上に60億も生息していて、かつ、捕食されることがないという特殊な存在である。肉を食べると言うことは日常になっているが、「人間が肉として食べられる」という対照的な事象には過敏に反応する。

生産者・消費者・分解者

概算すれば人間の死体と言うのは年間600万トンぐらいは産出されるわけだが*2、火葬などにより相応の割合で食物連鎖の枠に戻ることなく灰にされているわけである。もっとも日本では火葬がほぼ100%であるが、世界的には宗教的理由などもあり土葬や水葬も多いわけだが。

生産者・消費者・分解者という食物連鎖の輪から、これだけのタンパク質資源を吸い上げているわけだが、果てにその処分に困っているというのが現代の実情だろう。土葬をするには土地がおおく必要であり、人口密集地ではとてもその土地が賄えない。埋めて分解者に任せるというのが追いつかないだなんて!

単に資源的な活用を考えるなら牛骨粉ではないが、粉末状にするなどして飼料や肥料にすればいいのかもしれない。火葬にして60kgほどの肉を焼くというのは結構なエネルギーを消費する。*3死体全てを火葬にすると年間1億リットルぐらいは石油を使うことになる。

もっとも、こうした論には数字の理屈なんて大した意味がなくて、結局、葬られる人の家族などの心情的な理由が優先されることだろう。結局、エコよりはエゴなのである。

*1:現地では結構起きる事故らしいが人類全般からすればレアな事象だろう。

*2:平均寿命を60歳とし、60億人のうち1億人が毎年生まれ、毎年死ぬとして、その体重が60kgだとした数値

*3:ちょうどよい資料が見つからないので1人を焼くのに石炭20kgが必要と言う説から概算すると、石油で20リットル相当だろうか。