なかなか興味深い話である。
この話を見ていて、とある本に書かれていたことを思い出した。*1
江戸の商家は女性相続だった
江戸の商家というのは女性相続だったらしい。つまり、商家の息子に生まれても後を継げないということだ。男子がいたとしても養子を迎えて継がせたらしい。
江戸には「年季者」と呼ばれる人々がおり、年季や修行の内容を制約して丁稚奉公をしていた。この人らは親方の家で食い扶持を与えられ、修行を行ったということらしい。給金を与えられながら修業をするという点ではIT系技術職を重ねてしまいたくなるところだが、年季者の契約は厳しく、年季の途中で辞める「年季崩れ」ではそれまでの食い扶持などを弁償する必要があった。現在の企業では辞めるからと言って教育費用の弁済を求められることはないのだから、気楽な時代と言えるかもしれない。*2
年季が明けて一人前と認められると同業者に「おひろめ」をしたらしい。江戸ではことあるごとにおひろめをする文化があったようだ。相互の認知で成り立つ、人間同士の繋がりの強い強い時代のことである。
丁稚、手代、番頭と進み優秀であったなら商家の婿となることもあった。選りすぐりのエリートを婿にして継がせることで商家は維持されてきたのだった。いわゆる財閥と呼ばれる豪商はこうして江戸期から脈々と続いてきたのだそうだ。昭和初期に銀行と言うのは「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」といった考え方が主流だったらしい。
競争する自由、しない自由
結局のところ、もともと日本なんてのは実力主義な世界だった。ただ、皆が皆、その競争に参加しないといけないという世界ではなかったのだろう。長屋住まいで日雇いでカネを稼いではその日暮らし、という者も多くいたようだ。競争に参加する自由と、参加しない自由があり、最悪、のたれ死ぬという社会だったわけだ。
現代はとかく本人の意図とは関係なく競争に巻き込まれるという社会であるが、競争をしない自由もまたあっていいと私は思う。ただまぁ、自分の食い扶持を稼ぐこともしないなら餓死にもやむなし、という割り切りもあって初めて参加しない自由とその代償が釣り合っていたのかもしれない。少なくとも衣食住は保証される社会を、と求めればその維持費分はみんな働けよ、となるのは仕方ないだろう。
しかし、自分での選択とは言え、そういう社会は所得格差は大きかろう。私は格差があることそのものを悪だとは思わないが、納得して選択しての格差と、押しつけられた格差ではその意味はまるで違う。
現代の丁稚奉公、その日暮らし
江戸時代なんて家を大事にしていたが、養子とか日常茶飯事だし、あまり血縁にはこだわりがなかったのだろうか。今の時代に江戸期の「お家」に当たるのは「会社」なのかもしれない。丁稚奉公よろしく、会社に属して競争社会に身を置くなら、徹底的に競争すればいいんじゃないだろうか。婿に継がせるという話は今ではちょっと問題があるかもしれないが*3、選りすぐりの人材に株を譲渡して経営も会社も継がせていくというのは特別不思議な話ではなかろう。
*1:「江戸の歴史は大正時代に捻じ曲げられた」古川愛哲著 ISBN:9784062724791
*2:いまでは人を雇う側が教育費のリスクを負う。20代の給与が低いのはそのリスク分だけ引かれているからという側面もある。腕に自信があるなら、技術系の派遣業とかで働いた方が給料は高い。そのリスク分の天引きを支払わないからである。いくつか会社を回った上で、よさそうなところに中途で入る、という方法論が生涯賃金を高るうまい方法なのではないだろうか
*3:恋愛は自由であるべきだと思う