正論にかけられた呪い

 村上春樹氏は正論に呪いをかけた。

一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。

*1


 正論というのは正しい論と書くとおり、正しい論に与えられる名である。


 「正論原理主義」というのはその名からすれば「正論」であろうとする主義であろう。いわば科学は正論原理主義であって、論証を持って如何に正しさに近づけるかを日々研鑽しているわけだ。

 引用文から分かるとおり、村上氏のいう「正論原理主義」は正論であろうとする主義のことではない。学生運動的なある種の論を同調圧力・集団圧力でもって押し通す暴力的なことであり、それに対して「自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除され」ることを嘆いた。

 僕も同調圧力で持って道理が曲げられることには憤りを覚える。そういう意味で僕も村上氏も同じものを嘆いていながら、氏はそれを「正論」のせいにしているし、僕はそれを「同調圧力」がゆえだろうと因果を考えている。


 正論というのは正しい論と書くとおり、正しい論に与えられる名である。


 素朴な発現が同調圧力で持って排除されることを嘆く気持ちは同じだが、正論が悪だと誤読するような村上氏の呪いには当然ながら賛同できない。

*1:文藝春秋四月号