文章は知性の顕現の一種に過ぎないよ

Leo's Chronicle: 知性が失われて初めて言語が「亡びる」あたりを読んで、ちょっと違うんじゃないのと思った点を書いてみよう。

まず、論文の記述の話で言えば、流暢な表現は必要ないと思っている。格好悪くてもいいから意味が正確に伝わることが重要だ。査読はそういう視点で行われるべきだ。これが文学の世界なら中国人ながらに日本で芥川賞を受賞した楊逸氏が、前回の落選理由として「日本語表現が拙いから」と言われたのも仕方あるまいとなるわけだが。

その論旨の部分に対する査読という、論文特有の事情を鑑みれば、元記事の

別に難しい表現にこだわらなくても論理通ってれば意味を伝える表現は出来るだろうし、それが出来るのが科学研究分野なんだし。

いいじゃん、別に"Because"や"But"が何回続いたって。

"That's why..."とか"However..."を使わなくたって。意味通れば。

関係代名詞が必要なら全部文を分けてしまえばいいし、とにかく中学生でも単語の意味知ってれば理解できそうなレベルまで表現力落としちゃってもまあなんとかなるんじゃないだろうか。

むしろこれから起こるのはネイティブイングリッシュの破壊であるとか - かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

という主張のほうが理があるように思える。

文体のステレオタイプ

英語でも日本語でもそうなのだけど、いわゆる「上品な話し方」というのがあるわけで、教養がある人というのはそうした話し方をするものだという先入観というかステレオタイプが根強い。だから、下品な言葉遣いで話すよりも、丁寧な言葉遣いで話すほうが、知的に見えるというのはあるだろう。

まぁしかし実際のところ、世の中にはびこるトンデモ本なんかは丁寧な言葉で物凄くトンデモな内容を語っていたりするわけで、表層的な表現が知性を形作るわけではない。だけども見た目が9割主義みたいなのは結構普及していてhttp://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080923/1222145340みたいに表層の形式で知性を図ろうとするような話が出てきたりする。丁寧に書かれたトンデモ本は知性がたっぷり、見識を持った人が私的blogで口語でスラング交じりに話した言葉は知性がないということになってしまう。

知性とはなんだろう?

思うに、知性はテキストに宿るわけではない。テキストににじみ出るのだ。

会話をしていて「この人は気が利く人だ」と思う人と言うのがいることだろう。意図をくみ取るのがうまくて、こちらの言いたいことを先回りして受け止めてくれたり、自分に分かりやすいようにとこちらの反応を探りながら表現方法を変えてくるような人。あるいは、皆が答えを出せない場で、すっとXXしてはどうですか?と解を示せる人。会議室がすったもんだのすえ話がよくわからなくなった場で状況を整理してイマココ!って示してくれる人。そういう「行動」を起こせることが知性なのだ。

物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。

知性

そんなわけで、知性なんてのは、その人の受け答えで見るのが妥当だと私は思う。つまるところ対話してみるのが一番わかりやすい。

文章と言うのは、ある程度まとまった量の思考を表出する性格があって、対話とは随分と趣が異なる。blogの1エントリだけ見ていると「ふむふむ、なるほど」と思っても、数日分を辿って読んでみると、「この人はどうも駄目だな」と思うこともあるわけである。これが直接対話だと、こま切れな反応の応酬になるわけで、ごまかしが効かない。

いかんせん、語り聞かせのような文章だと知性と言うのは表出しにくく、人との受け答えであるトラックバックによる議論なんかでは表出しやすい。

門外漢でも拙い英語でも

着眼点が鋭い人というのは、たとえ慣れない拙い英語で議論をしたとしても、「英語が拙い知性ある人」と思われることだろう。専門外のことでもトンデモ理解でやばそうな主張をする人とは一線画した反応を返す。最近では「地頭」*1とかそんな言われ方をしていたりもするけど、つまるところは一緒。

そりゃぁ流暢に話せるならより知的に思われるかもしれないけど、僕らはそんなに表層しか見ていないのだろうか?いやいや、そんなことはない。綺麗な賛美を並べさえすれば客はみんな満足するなんて考えてるセールスマンがいたら爆発しろ!と言いたくなるってのが人情だろう?

そりゃぁカタコトの日本語で質問されたら、それだけで相手をしたくないと思う人もいるだろうけども、それがイコール知性がないなんて判断を僕らはしない。僕らは文体に知性を見ているわけじゃないんだもの。例え言葉が通じなくとも、ジェスチャーでしか意図を伝えられなくても、気が利く人は気が利く人だとわかるもの。その行動に知性がにじみ出ているだろう?

まとめ

  • 丁寧な文章、語り口は知的だと言うステレオタイプが存在する
  • 敬体で書かれたトンデモ本などの反例を見て分かる通り、あくまでそれはステレオタイプ
  • 知性は物事を考え、理解し、判断する能力なんだから、受け答えの際に表出しやすい
  • 受け答えの際の言語が拙くても、知性はにじみ出る

*1:じとう、じゃなくて、じあたま。別に何が変わったと言うわけでもないバズワードだろう。