極めて当たり前の事実だけど
「能力には差がある」「子供の半分は平均以下」
書評:Real Education-人口の半分は平均以下 | On Off and Beyond
というのはある。
相手にメリットを提示できない人たちはどうやって飯を食っていけばよいのか?極端に言ってしまえば、貢献できないで飯だけ食うなら「穀潰し」そのもので、いない方がいい。かといって社会システムとして考えた場合に無能者は追放します、野垂れ死んでくださいというのは酷だろう。*1 *2ここでタダ飯を食わせるのでは示しがつかないから、どうにかそんな連中にもできる仕事を作るという方向に行くと
でも働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか、と思っている。
月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている、というような。だったら、ダイレクトに20万渡せば10万円セーブできるんじゃないかと思う。例を挙げるのはここでは控えるが、いくらでもあると思う。
ベーシックインカムの話 | 堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」
ということになる。だったら「働かせないでカネを渡すと示しがつかない」という価値観の方を変えてダイレクトに20万を渡す、つまりベーシックインカム論にしちまえよ、って話になる。
現代日本は機械化で単純労働は激減してしまった。下手な人が窓口業務やるぐらいなら自動販売機のほうが消費者メリットがあるぐらい。窓口が人間であるメリットは例外処理に対処できることだが、例外処理に対処できるぐらいの機転の利く人じゃないと自動販売機に劣る。産業ロボットは世界の40%が日本に存在するし、自動販売機の設置数も日本が断トツ。
無能者にやらせる仕事がない日本だけに、働くなら高度に技能を身につけなくてはならない。教育の平均を向上させたとしても、機械が提供する労働を超えれるだろうか?超えれなかった人をどうするのか?この問題は機械化が進んだ日本特有の課題だろうね。