情報の流通とユーザ数

 はてなブックマークの問題点として、0user と 1user の間の大きな壁というか、ようするに網の荒さというのがあって、良いことを書いているのにブクマされていないページなんてのはざらだし、逆にアルファブックマーカーが下らないことを書いたら100usersとかになるという、最初の一歩問題がある。

 このあたりははてなブックマーク・user数の傾向のまとめがはてブ利用者としては体感的な感触として合点が行くのではいだろうか。

 はてブという情報の流通網は目が粗い。だから3usersで注目扱いなのだ。これが10usersだと注目エントリーは閑古鳥である。最初に流通網に乗せるために自己のエントリを自分でブックマークするセルクマが行われるのも現状打破のために個人が行う工夫としては仕方がないとも思う。

 そして、ひとたび流通網に乗ると、新着ブックマークをチェックしているユーザがそれを拾い、3usersになれば注目ブックマークをチェックしているユーザがそれを拾い、30usersぐらいになると人気エントリをチェックしているユーザがそれを拾い始める。人たび注目が始まると、そのエントリに対して言及したエントリが書かれ、雪だるま式にusersが増えていく。☃

ネガティブな側面

 僕はその最初の0と1の壁というのは、ユーザが増えると解消されるように思っていた。人類が1兆人ぐらいになると情報流通はもっと面白くなるかもしれない、なんてことを妄想していたのだけど、その未来はネットのネガティブな側面も強調すると言う恐ろしさを以下の記事に垣間見た。

 チベット騒乱をめぐっては、米国の大学で、中国人女子学生がチベット支持派と中国人学生の対立回避を呼び掛けたところ、ネットを通じて中国国内でも「売国奴」と非難が起きた。中国の実家の住所がネットでさらされ、「売国奴を殺せ」と実家の壁に落書きされた。

 「人肉検索」。集団で個人情報をたどり、ネットで公開する行為を中国でこう呼ぶ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081207/crm0812071346005-n1.htm

 人肉検索的なことは日本でも行われているわけだけど、網の目の粗さに救われているところも結構ある。同一言語でのネット利用者が増えた場合に網が細かくなってエスカレートするとどうなるかを考えると空恐ろしい。

ポジティブな側面

 しかし逆にポジティブな部分も活きてくる。自分は1996〜2003年ぐらいまではアーケードゲームのスコアアタックに没頭していたのだけど、こういうマニアックな趣味というかプレーヤーの少ない趣味を持つ場合、ネットと言うのは非常に有難かった。希薄に分布するプレーヤーを濃縮した場を作ることができるのはネットの強みだ。ネットユーザのすそ野が広がると、ジャンルの生存下限に到達できる可能性が高まる。

 ある程度の規模になると、そこに向けた商品とかが供給可能になる。たのみこむで発売されているバトルガレッガのスーパープレイのDVDとか、こういう商品がなんとか採算可能になる。もちろん、規模がもっと大きくなればもっと盛んに商品が投入される市場となろう。

情報の流通網

 そんなネット世界でどうやって情報に到達するかということになると、これはGoogleのような検索エンジンによって担われている。かといって検索エンジンだけに頼るのもどうもなぁ、という部分をはてなブックマークなどのソーシャルブックマークがサポートしている。あるいは、自分に合うポータルがあるならそこに引き籠ってもいい。

 現在は言葉の壁はまだまだ厚いが、実用に耐えうるほどの翻訳エンジンが出てくると、言語クラスタが統合する日が来るのではないだろうか。Googleが翻訳に手を出しているのはそういう狙いもあるだろう。

 言語クラスタ統合の時代に、ソーシャルブックマークは雑魚すら漏らさない密な網を手にして漁場の魚を一網打尽にするのだろうか?それまでに、人間のネガティブな感情を処分するためのブラックホールのようなものを用意しておかないといけないのかもしれない。生産には廃棄がつきものだからね。

奴隷商人の価値観

SI屋の経営陣が技術の空洞化に気づかない理由 - プログラマーの脳みそにはいくつか反応を頂いた。

専門分化された技術分野では「技術力がある人を知ってる」もお金になるってことじゃなく?「うちは技術力があります」=「うちは技術力を提供できます」というか。気づいてないことはないと思う。

はてなブックマーク - SI屋の経営陣が技術の空洞化に気づかない理由 - プログラマーの脳みそ

傭兵を会社の戦力と誤認している場合、お金の流れすら見ていないまったくダメ経営陣だよねこれ。でもさすがに経営陣がそこまで無頓着とも思えないから、そうじゃない部分を自分たちの力として誇っているんだろうなあとは思うんだけど。もちろん、現場から見てその誇りが違和感バリバリであることだろうけど。

傭兵が自由に動くことで戦局が打開されることはまれでは? - novtan別館

 これらの意見に対しては、奴隷商人的な頭数いくらの人月商売を旨としている経営者は、1人月分以上の価値を解さないという事象を考えていただきたい。ある程度の規模のプロジェクト全体のアーキテクチャを選定できるような人材がいたとしても、全体の作業工数や教育などの側面で「1人月以上の働き」をするという価値を解さず、1人月分の労働力の下請けとしか認識しないという経営者を考えて欲しい。

 発想力に優れる経営者であれば、システムを構築できる人材を確保したならば、その人材にシステムを作らせて新たなビジネスモデルを模索し、投資するようなことを考えたりもするだろう。奴隷商人的な人材派遣もどきの中請けIT屋というのは人はあくまで1人月分の工数としか見ていない。1人月分の働きをできる程度のプログラマ・SEをもって「わが社の優秀な人材」と言っているのを聞いていると、そういう見方しかしていないのだなということが分かる。

 3年程度の実務を経験して、ひと通りの作業ができるようになったら1人前で、それ以上の技術はさして価値を持つとは考えていない、もしくは、それ以上の技術を計測できないのではないだろうか。スキルシート(笑)の評価欄の杜撰さを見てもある程度以上の技術は理解不能だから、人月単価交渉にも使えないし意味がないと思っているのではないか。

 今のフレームワークを設計するというような案件で増員の話があがったわけだが、中請け会社は相手が納得する技術者を提示できなかった。「業務の開発をそこそこにこなせる技術者」では高度な設計技能を求められた時に対応できない。元請けのアーキテクトとは「マルチスレッドのプログラム書けるような技術者っていませんか?」「心当たりないですねぇ。自分らで書くしかないんじゃないですか?」なんて会話をしていたのだけど、実際、そういう技術者を提示できる奴隷商人は稀だろう。

 向こうの評価としてはあくまで1人月を上限としているのだから、プロジェクトの成否はある意味運任せと言える。それでも、デスマーチプロジェクトを時間契約で請け負って大儲けとかそんな話を聞くから、経営的なことはちゃんとやっていると言えよう。プロジェクトの成否じゃなくて食いっぱぐれない契約を取り付けるという意味で、営業・経営はちゃんとやれている会社と評価している。

直接必要な人材を自社で抱えている必要自体はなくて、

1. プロジェクト完遂の為にどんな人材がどれくらい必要か判断する程度の能力
2. 必要と判断された人材を確保する程度の能力

があればかまわないとは思うけど、
自社の空洞化に気付いてないってことは、2を意識的にできていない、
成功したプロジェクトにおいて必要な人材が確保出来たのはたまたま、
ってことだから大変危険。

SI屋にとって問題なのは技術の空洞化ではなくそれに気付かないこと - 文殊堂

 傭兵を必要に応じて招集できるなら、会社としてはそれはそれでいいと思う。ただ、先に挙げたように技術者に対し、1人月分という評価までしかできない会社なので2を意識的に出来ていないということだろう。件の会社のスキルシートに経験したフレームワークの記載欄はない。「XXフレームワークを採用した案件をやるんだけど、やれる人いない?」と言われた時に営業さんは資料から人を探せていない。その段になって聞いて回ってるような有様で、後になってから「それなら経験ありますよ。あ、もう別の未経験者をアサインしたんですか、そうですか」みたいなやりとりも。

 もっとも、あちこちの会社を渡り歩いてきたが、技術を先回りしてスキルシートに評価欄を設けるような会社なんてのは見たことがない。奴隷商人的なIT屋だとJavaとかC#とか大雑把な言語レベルでしか技術者を把握していないのが一般的であるように思う。営業や経営層が技術に明るくないと難しいのだろう。

常備のプロ化した軍隊は政策や皇帝の継承に関与し大きな災いを為したと書かれています...
マキャベリがプロの軍隊を嫌ったのは
当時のイタリアの軍の主力だった傭兵隊のひどさからなのですが

(中略)

当時の傭兵隊に中には...
最後は雇い主を追い払って領土を占拠してしまう者まで現れています...

SI業界の未来 - @katzchang.contexts

はとても示唆深い。

 技術志向で独立した会社は虎視眈々と奴隷商人的会社の乗っ取りを狙っているかもしれない。そのための布石としてOJTの新人教育を快く受けたり、無償で勉強会を開いたりしているかもしれない。ゆめゆめ用心召されよ。

完璧な例外処理ってのを誰か教えてくれ

Javaでストリームの後始末などをする場合の話。

二重tryブロックになるととたんに見通しが悪くなる…。完璧な例外処理の例を誰か教えてほしい。

多重tryブロックの除去 - @katzchang.contexts

と語ったのは、完璧な例外処理のような視点でのぼやきだった。*1finally中に例外が発生するようなケースでは元の例外をfinallyで発生した例外が隠蔽してしまう。このあたりの情報をどのように繋ぐべきなのだろうか?リンク先の考察では面倒極まりない例外処理コードを書いているのだけど、通常どのぐらいのところで妥協していいのだろうか?

誰か答えを教えて欲しい。

*1:今見ると二重try節での例外を例外チェーンで繋ぐというのがそもそも目的外の例外チェーンの使い方な時点で微妙なやり方に思える。caused byに出てきてもなんか違うように思うんだがどうなんだろう?

地域局在性とアナログ媒体

 都道府県別シェアから見た広告メディアとしての新聞: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)のデータはなかなかに興味深い。

 結局のところ、旧メディアの新聞というのは地域制がカギなんじゃないだろうか。広く世界の情報を集めようとしたならばネットの方が媒体として有利に思う。

 極端な考察は言葉が統一される日 - プログラマーの脳みそに挙げてあるけども、人体の物理的な存在場所、つまるところ住んでいる地域に僕らはどうしても縛られる。だからこそ地域でしか通じない方言を用い、地域でしか通じない話題をする。元に生活という人生の多くの時間をその地域特有の環境下で過ごさねばならないからこそ、あるいはその環境だけにいればよいからこそ、地域的な特殊文化に染まっていられる。

 ネットワーク上はそうした地域性が薄い。強いて言えば言語という代物が地域性を色濃く残しているかもしれないが、情報の流通とユーザ数 - プログラマーの脳みそで取り上げたように、自動翻訳が実用的なレベルになったら、言語と言う地域性をも失う。

 逆に旧メディアのようなものは、局所性に注目すると活路があるように思える。地域ニュースは地域外での需要は少ないだろうし、新メディアの不得意とするところである。地方だとネットでお店を探すより地方紙の情報の方が頼りになる。このあたりの分野はまだまだ旧メディアの方が分がある感じ。全国紙はあるいは政治経済や海外部を専門に扱って地方紙に記事を売るような存在になるのかもしれない。