嫌がる人がいないことが大事なわけではない

「インターネットとはそもそも公開の場であり…」の十年一日っぷり - Atzy->getLog()
で挙げられている議題が面白い。

「インターネットはそもそも自由で…」というお題目を唱えて、「だからいいんだ」と勝利宣言をするメソッドは昔から使われています。そして私自身は基本的にその考え方に賛成です。

しかし、そこで思考停止している人も多く見られるのです。

(中略)

まず、よい悪いは別として「何か、嫌がっている人がいるらしいぞ」ということを認識することが大事。それを否定して*1、万能薬の「インターネットは自由だ」を適用しようとするので問題がいつも同じことの繰り返しになります。

確かに、ネットを扱う人の中で「公開で発言なんてする気はなかった。俺を批判するな!」
と嫌がっている人がいることはよくわかる。
しかし、そもそも公開の世界であるインターネットに同意も覚悟もなしに入ってきておいて
自分は嫌だからとルールを変えろというのはアリなのか?


会社に新入社員なり中途なりで人が入ってきて、
「俺は働きたくない!働かなくとも給料を貰えるようにしろ!」
と要求するのとさしてかわらない。
それを望むなら、それを許してくれる世界を求めて旅立ちなさい。


少なくともインターネットはそういう人のために作られたわけではない。
強いて言えば、そういう連中をネットに引きずりこんで、ネットビジネスに
カネを落とさせるという狙いでのみ参加を歓迎しているに過ぎない。
あるいは世論操縦のための頭数という利用方法もあるかもしれない。


こんなことは子供のうちに学習することになるのだけど、
駄々をこねていたら、それを諦めさせられることになる。

嫌がる人が誰もいないことが大事なわけではない。
関係者間で全員に合理的な利益があることが望ましい。
Win-Winってのは駄々をこねる人間を排除しないと生まれてこないものだ。