「議論のデモクラシー」という用語は
b:id:dame_kana 何を持って議論の成功/失敗かを決めるのか。議論のデモクラシーを「炎上」の一言で片付ける超然とした態度は「自分の論を終着点にしようとしてしまう」そのもの。
http://b.hatena.ne.jp/dame_kana/20090123#bookmark-11781236
が語ったもので、私は先のエントリで「炎上の一言で片づけていないよ」と述べた。
b:id:takahiro_kihara 議論のデモクラシー?暴力ではなく、言葉で議論することこそがデモクラシーなんじゃないのか?多分多数決=デモクラシーと思ってるんだろうが、多数決はデモクラシーのごく一部分に過ぎない。
http://b.hatena.ne.jp/takahiro_kihara/20090123#bookmark-11786502
と指摘されて、なるほど、たしかに多数決=デモクラシーではない。多数決以外の部分をどう捉えるべきだろうかを考えてみる必要がありそうだ。
「デモクラシー」には「民主主義」という訳語が与えられている。
民主主義は個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し、多数決を原則として意思を決定することにより、人民による支配を実現する政治思想である。単純な多数決と混同されることが多いが、単純な多数決では、単に多数であることをもって、その結論が正当であるとの根拠とするものであるが、民主主義として把握する場合には、最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当とする点で異なると主張される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9
「個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し」という点については、誰もが自由に議論に参加できるWebにおいては成されていると考えてよいだろう。
b:id:takahiro_kiharaは「暴力」との対比を挙げているが、Webの議論に暴力の介在する余地はほとんどないのではないか。まぁいわゆるネットストーカーのような嫌がらせで議論を捻じ曲げるのは暴力的だと思うが、それを肯定する気は私もさらさらない。Webの議論は暗黙に「言葉で議論する」が前提だろう。
となると残るは「多数決を原則として意思を決定する」だ。…あれ?「議論のデモクラシー」という用語を考えるに当たっては、Webでの公開議論を前提とした場合に「多数決=デモクラシー」になってしまわないか?
用語の発案者のb:id:dame_kanaがどのような意図で述べたのか解説が欲しいところである。
議論は民主主義でよいのか?
私はエンジニアであるから、議論は日常的に行うが、結論を誰が出したかという手柄よりも、より正しい結論にたどりつくことを優先する。
ことIT分野においては、答えの正しさが機械によって究極の客観性をもって示されることから、相手がたとえギークであろうとも過ちを過ちを指摘することがしやすい。権威によって論証の正しさが捻じ曲げられることはない。このあたりは技術ブログの客観性 - プログラマーの脳みそで述べた。
そういう意味で、より完全で無矛盾な結論を求める議論において、その決定は多数決では行われない。民主主義で言うところの「自由・平等・参政権」は認められるが、結論は論証を持って行うという方式だろう。
もちろん、民主主義が理想的に働けば、「結論は論証を持って行う」のと同等の結果を得られるとは思う。論理的におかしな論が多数決で可決されることがないという前提が成り立ちさえすればよい。問題はその前提は成り立たないだろうということだ。
私が議論のデモクラシーなど議論のアンチパターンに過ぎないと主張する理由はこのような事情による。